2011年1月31日月曜日

深セン 羅湖商業城でのこと

本日午後のニュースで、「医師法違反 無資格でホクロ除去エステ・・」
なんてのを見ました。日本のニュースですよ。

深センでちょっと苦い思い出があります。
忠告!「羅湖商業城のマッサージ屋には心してお入りなさいませ。」

この時は深センにホテルをとり香港に通いました。
羅湖口岸(イミグレ)や福田口岸から連日行列と格闘し渡ったのですが、

・・それは私の場馴れしているという慢心が招いた事件でありました。
久々に羅湖の全館ジャーダ=偽的!っていう (←字そのものニセモノってことデス) ビルの中を

ひやかしに歩いておりましたが、マッサージでもして帰るか、ということに・・。
実はあまり気は進まなかったのですけど、同行者の意向もありまして立ち寄りました。

やおら、ひとりのシャオジエが「なんともないから試してみろ」とレーザー機のようなものを
肩にかけ私の傍らにすでにぴったり座っています。

足マッサージが始まって身動きできない中、強引に私の顔のそばかすをジリジリとやりだしました。
三個お試しでタダだからなどと言いながら、・・。

ご想像どおり、とんでもないことになりました。
三個タダどころかあっというまに十数個だと言ってボラれるはめに、

そんな約束していないと抗議すれば、
ラオバンだと称する怪しげな体格のいいその筋の男もお出ましに・・。

ああ、こんなこと、かつての私だったら絶対にありえないはず・・
こころのスキに入り込まれたか、・・・とにかく大変自己嫌悪に陥りました。

おまけに次の日からの業務は、皮膚のはれとかさぶたを化粧で隠しても隠し切れず、・・
会社訪問もなんとか顔を見られまいと・・そんなこと無理なんですけど・・不自然な下向きで。

一週間たってもいびつな皮膚・・香港空港ではこんなときに限って知人に会ったりしまして
・・・自業自得とはいえ、とんだことでございました。

結局、一瞬消えたかのようなメラニンは、その後南半球で増幅し、
そばかす(しみというべきですかね)顔のままで~す。

こんなことで済んでまだよかったですが、怪しいことに近づくなかれ、
慢心のスキに魔の手が入り込む!

深センには当分行きませんね。

後々つらつら思うに、入店時の私の気をゆるませたひとつに
店のめだつ場所でその長くて美しいおみ足のマッサージを受ける金髪の西洋系の御嬢さんたち・・
あら、あなたたちも足が疲れたのね~、なんて微笑をもって見ていた私・・
シミとりの金払え、払わない、というころには客はすっかり誰もいなくなっていました。
ははーん、あれもちょいちょい「パンダ」と化すバイトの御嬢さんたちか・・
んー猜疑心つきません・・。

そういえば上海のリッツカールトンの近辺でも「そのシミとってやるよ」と
アーイーたちが声をかけてきていたっけ。

私の「シミ」は中国じゃ「カモ」の形になるらしい。


インチョンからの荷物

また、インチョン~岡山からのスーツケースが出て来なかったよ、と
29日未明、出張者一名帰国してまいりました。

雪もまたまた降り積もったことですし、それよりなによりザックジャパンのアジア大会の興奮に
特にサッカー好きでもない私も、朝方まで:包まれておりましたものですから、

どこにも出かけずに荷物を待っていましたが、
届きませんでしたねえ。

スターアライアンス加盟航空便利用が原則なので、
あえてコリアンエアーを利用することはないのですが、

今回はどうしても、インチョン経由しかなかったのですよね。
乗り継ぎ便は特にそうですけど、「ちゃんと荷物乗ったかしら」と不安になって

じっと飛行機の貨物口みつめてたりしますよね。
で、結構自分の荷物をみつけて「いたいた」とほっとしたりして。

明日は届くか・・。

2011年1月30日日曜日

 亜麻色の髪をした・・・

うちのバロンちゃんにそっくりのかわいい男の子に会いました。
成田~香港便、三、四歳くらいかな。

ほとんど歳の離れていない女の子と、ママと三人で搭乗してきました。
シートに座っても、イヤホンを付けても、すべてのしぐさが愛くるしかったのですけど、

やがてママとお姉ちゃんがトイレに立って、
「・・マミーがいない・・、・・マミーがいない、・・マミーがいない・・」

それはちょっとまわりの大人に訴えるかのごとく、いやいや自分にいいきかせるかのごとく(?)
シートベルトをちいさな手でガチャガチャつつきながらつぶやき続けています。

日本語で、心細げに、亜麻色の髪をして、つぶらな瞳で。
「マミーはすぐ帰ってくるから大丈夫よ」と声をかけても、つぶやきは止まらず・・。

そして本人にとってはずいぶん長~い時間が経過して、ママたちが席に帰ってきました。
「なに?泣いてたの?」「トイレだからっていったじゃない。」

立て続けに早口日本語で、年のほとんどかわらぬお姉ちゃんが、
いや意外と妹だったのかもしれませんが、

この数分が耐えられなかったことをなじるではありませんか。
これまた整った西洋的お顔立ちと、流暢な日本語のギャップがかわいさを増幅します。

キュートな親子と、しばしの搭乗でした。

私たちが入国審査の列に並ぶ横を、「永住者」、のゲートをするするとくぐり、
香港の人の群れに消えていった三人。

亜麻色の毛、ちょっと困ったような丸い目、・・・バロンちゃん、
飛行機の中で彼のマミーには内緒で「バロンちゃん」と呼ばせていただいていたのであります。

そして「マミーがいない」も我が家の定番ワードとなりました。

この時の香港余談①
香港では、蝦雲呑麺は「池記」と、我が家のここ十年の用達です。
たまたま入った「永華麺家」(湾仔 ヘネシーロード)もなかなかいけました。
近年すっかり「おしゃれでこじゃれた店」に変身し支店も増えた「池記」なので、
ノスタルジー回帰みたいなところもあわせ、「永華」にシフトしそう。

余談②
帰りは羽田国際第一便を利用しました。
けっこうミーハー、と思われるかもしれませんが、それだけ羽田の国際化は望んでいた、
うれしい、ということデス。
実際、成田便はできるだけ使わないようにして出張組んでしまいます。
成田もこれを機にもう少し何とかすべき。海外からの客にワルイですよ、このままじゃ、ね。

2011年1月27日木曜日

ウェリントン キューバストリートのレストラン

ウェリントンの「matterhorn」は特に印象的なレストランのひとつです。

私たち日本人にとってはビーフというと、穀物やビールまで飲む手間暇かけて肥育される和牛・グレインフェッドのイメージが一般的ですが、今回のオセアニアでは、グラスフェッドの美味発見、すっかり見直すこととなりました。

その肉質や独特の臭いにおいては選択肢からはずされることも少なくなかったかもしれません。
食糧の高騰・危機が叫ばれる今、広大な大地の中で牧草だけを食べて育つ牛はあえて選ばれてよい存在でしょう。

そして、美味しさで選択を確信させたレストラン「matterhorn」。
「いいお店だよ、きっと気に入るよ」と誘われ、キューバストリートのバケツ(※)の前で待ち合わせ。

そろそろ人通りもまばら落ち着いた通りから一歩中に入ると、
店内はお酒と料理とおしゃべりを楽しむ居心地良い活気に満ち溢れています。

これまた居心地良い続きのバーで、テーブルが整うまで私たちもしばらくお酒とおしゃべり。
賞をとったラム酒のウンチクなどもきかされたりしながら、・・待つのもまた楽し。

オークランドのステーキハウスの豪快な肉塊ローストも悪くなかったけれど、
さてこうしてシェフの手で「料理」となった一皿はまた格別。

それぞれビーフとラムを、ワイヘキ島産オイスターとともに、
もちろんサイドにマッシュポテトも外しませんよ。

百聞は一見にしかず、、
お値段も心配するものではありませんのでぜひどうぞ。

年齢層も広く、アルコールや食事でなくともカフェとして楽しむだけでもいいのですよ。
シェフの確かな技量と、あらゆる人を拒まない、よいお店です。

実はほかの店では、「オーストラリア和牛」も試してみました。
食したのは100グラムあたり50ドル、ほんのりと脂肪交雑、

神戸ビーフを思い起こすようなものではないものの、香りは和牛。
しばらく日本に帰ってないから・・てな理由でオーダーしたご相伴にあずかったのです。

中国大連の、「雪龍黒牛」とどうでしょうね。
次の機会には、実際に肥育の現場も訪ねてみたいと思います。

折しもドキュメンタリー「フード・インク」が再燃、ロードショーも始まりました。
食の現実です。インパクトは小さくないでしょう。

そしてさらには、TPP参加を、輸入品の脅威に萎縮するのではなく、
安心・安全な日本の食文化と技術の発信、日本ブランドを選択させる好機ととらえるべきと、

勝機はあると、思っているのですけどね。 【ニュージーランド航空公式】公式サイトなら最安価格保証

雪が降ります

この冬の日本海側はよく降りますね。

ラニーニャ現象により厳しい寒さと予測されていはいましたが、
そのとおりとなりました。さて春は近いでしょうか。

先週末、中国大連から客人をお迎えしました。
太平洋側から智頭を通り雪ふる街にきていただいたのですが、

湿った重たい雪、施設ごとのちょっと中途半端な暖房設備・・・、おまけに
除雪作業も十分でない上の道路工事渋滞(なんでこの時期?なんのため?)、と

多彩な「熱烈歓迎」を受けていただくこととなりました。
マイナス二十度も珍しくない北国の方々ですが、からりと乾燥した寒さとは

ずいぶん勝手がちがい、「寒い、寒い」と・・。
そのあとはもちろん、松葉かにと鳥取和牛で熱烈歓迎、温まっていただけたと思いますが。

さて、実は本日その大連に当方カンパニーより出かけております。
マイナス十度、春節を迎える爆竹の音が響いていると、現地からちょうど報告がありました。

みんな春を待っていますね。

<おまけ>
 「よく降りますな、除雪が間に合わん、それからへたくそでいけません、」
 「年末年始も、えらいことでした、」
 「こんな積雪慣れていたはず、」
 「除雪機もねえ、・・・維持できずにみんな手放さざるを得ず・・、」
 「これくらいで経済活動が停滞してはね・・、第一に人の命の問題、」
 「雪がふるのは自然現象、でもこの停滞ぶりは、いわば人災、」
 「いざというときの対応、できてこそ政策、」
 
  ~タクシードライバーさんともなにかと意見一致です。
   きっと似たような会話がこの冬は繰り返されていますね。

まだ降りますねえ。

2011年1月15日土曜日

各地で・・クイーンズランド州大雨と

オーストラリアクイーンズランド州の大雨洪水被害にお見舞い申し上げます。
水位の上昇はようやくおさまりつつあるとのことですが甚大なものになってしまいました。

ちょうど今、NZ代表が南のシドニー、メルボルンに滞在しています。
LAXから分かれてすぐ渡りましたが、そのころから異常降水が伝えられていました。

自然の猛威の前には、人間の力はこんなにも小さいものなのかと思い知らされます。
アメリカ東海岸、南部の寒波にしても大変な混乱ぶりです。

そして自然だけでなく、アリゾナ・ツーソンの銃撃事件、衝撃です。
すぐ隣のだれかが銃を持つことが合法の国だということを忘れてはいけませんでした。

私はついこの間、ひと時ではあっても忘れてしまっていたのですから。
こうした銃による事件、海外メディアが取り上げるものだけでもどれだけあることでしよう。

今日の追悼式典のオバマ演説では、この根本の問題に触れられることはありませんでした・・・。

2011年1月13日木曜日

アメリカ西海岸あれこれ シルクドソレイユも

≪ラスベガス≫

やはり、最先端技術のLEDディスプレイが夜を彩る都市ラスべカスも見ておかないと、
ということで寄りました。


到着後直行したのは、フリーモント通りアーケード。
200メートルの天井が1200万個のLEDにより、ちょっとしたショー会場になります。

私たちはQueenのバージョンで楽しませてもらいました。
迫力の音とスピード感ある映像展開、期待を十分上回るものでした。

繁華街の座を奪われたダウンタウンエリア(昼間なんか特にかなりさみしい街並みです)
の起爆剤として5年前に設置され、LEDの数も倍増(?)したりしながら、

今では、ラスベガスのアトラクションのひとつとして知っている人は知っている存在、とか。
ちなみに2009モーターショー視察時バージョンはQueenではなかったと、報告を受けております。

今年は、つい先日世界家電ショーが終わったところですね、
レディー・ガガも来場したとか・・←にかかわらずこれにも都合がつけば参加したかったのですが。

アトラクション・・といえば、シルクドソレイユの「LE REVE」も、
渋るふたりを説き伏せ鑑賞しました。

シルクドソレイユ各種の中で、ここでしか見られない円形水中舞台を見ておくかなということで・・・
いろいろな批評も聞いてはおりましたが。

しかけはゴージャスです、スタンディングオベーションも一部あったりしました。
ただ、ストーリー性の無茶ぶりが、せっかくのアクロバットの魅力をバーゲンセール並みに
してしまったような、・・・

ラストのベッドが下りてきたシーンは思わず笑ってしまいました。
決して面白くなくはなかったのですよ。

90分、眠気を耐えるのが苦痛だったと、二人は申しております。
妥当な作品評価と思います。つきあってくれてありがとね。。。

機会あればご鑑賞ください。演出ほか、きっとまた新しくなっているでしょう。

2011年1月11日火曜日

ぷーちゃん、心の病?

実は、この年末、ぷーちゃんにちょっとした異変がおこっていたのです。
・・長い間のお留守番、不安だったのですね・・。

満開の桜の下でダンボールにいれられていたちいさな4匹を連れ帰ったのは、一昨年の春。
2girlsはすぐに養子縁組が整い、2boysはこうして我が家で、トイレトレーニングも難なくすくすく成長。

ネコシッター役のおばあちゃんから、このごろどうしてだかポロン、ポロンと階段や廊下にころがってるのよ、と報告があったのが11月ごろ。

帰国の合間に、便秘が原因なのかもと獣医さんに診てもらったところ、「それは、ストレスでしょう」と、きっぱり。

自分でタイミングがわからなくなったようなんです、突如走り出したかと思うと、
ちりばめられているのです・・ポロリ、ポロリ、奈良公園の鹿か、はたまたウサギのような・・

そして申し訳なさそうに隅で縮んで・・・
自分でよくないことは十分わかっている様子。

この10日余、とにかく一緒にいて、おなかを触診して、タイミングを見計らってトイレに連れて行ったり、いい子、いい子としょっちゅう話しかけてはスキンシップしほめることにしたのです。

今、私の傍らで体をぴったりくっつけて眠っています。(いやいやそう見せかけて起きているかもしれませんけどね、なにせ敏捷なネコですから・・おや、でも口は半開き・・笑えます。)

実は一昨日から、もとのようにひとりでトイレに行けるようになりました。
ぷーちゃん復活!!

一番困惑していたのは本人(ネコ)でしょうから、ほんとうにやれやれです。
次回のお留守番、乗り越えてほしいなあ。

2011年1月6日木曜日

セドナの街

セドナに行ってみたんです。

ロスアンゼルスからですと600キロ余り、そこからさらにラスベガスというのも少し厳しいかな、
と当カンパニードライバーを気遣い、一度ラスベガスに出て、そこを拠点のツアーを利用しました。

赤い岩に囲まれた内陸の街で、ネイティブアメリカンの聖地として古くから
その不思議なパワーで人々を癒してきたそうです。

日本でも各種メディアに取り上げられているらしいですね・・
ここのところ大変なパワースポットブームです。

途中、グランドキャニオン、アンテロープキャニオンなどをまわりましたが、
アメリカは広大、一泊程度の往復行程でなくまたゆっくりと訪ねることといたします。


実は、チャーターしたツアードライバーを眠気から遠ざけるため、クライアントのほうが気を遣い
かなり疲れた道中でした。

・・・日本人留学生がツアーガイドとしてこのあたりで起こした事故はまだまだ記憶に新しいところ。
いろいろな旅の場面があるわけですが、命は自ら守るのが鉄則。

セドナの街中のせせらぎで一匹のリスが愛らしい姿としぐさで迎えてくれたんですが、
私にとってはそれが何よりの癒しでした。

今年もリッキーさんと久兵衛

マグロ初セリ、今年もさらに高値で香港のリッキーさんのところと久兵衛だったそうです。
お昼すぎにネットニュースを見て、キャットフード買い出しのついでについついマグロを食べに・・

もちろん、北海道生クロマグロではありませんけどね。(笑)
いまや世界のSUSHI、そしてマグロの美味しさも世界中が知るところ。

「今日はイタリアン、チャイニーズ、それともSUSHIにする?」は日常のビジネスランチのための会話であり、家族との食事のための会話です。

各地で自由に独自の進化を遂げてたりしますから、すっかり日本式ではありませんが
それはそれ、としておきましょう。

シドニーのガールズ寿司バー、「へい、らっしゃい、」と迎えてくれたあとは女子たち、すべてハングル・・・李錦記の甘い醤油が印象的(苦笑)です。

なお、リッキーさんに敬意を払い記しておきますが、
香港で利用した板長寿司、おいしくいただきましたよ。

魚の切り身を載せただけ、、という風の数多日本の回転寿司は明らかに負けてます・・。
今日競り落とした一部は、明日、香港とシンガポールに空輸されるそうです。

漁獲規制の壁の中、今後さらに養殖への経済的価値が高まります。
マグロに限らず、日本の誇れる技術。

2011年1月2日日曜日

新年を迎えて

さあ、新しい年が始まりました。
笑いと癒しをわすれず、健康な一年、さらなる未来を。
今年も感動体験、ビジネスチャンス、つかまえに行きます。(=^・^=)

今、日本でゆっくり、ネコたちと過ごす至福の時間です。
改めて世界の中の日本について思います。

かつて誇りといわれた数々が、試され、淘汰されつつある日本、
昨年はそれらを世界の各地で痛感しました。

各地で聞く中国語にはもう驚きませんが、
雑踏の中で必ず聞こえてくるのがハングル。・・パワフルです。

利用するホテルやアパートメントでは、まず
日本メーカーのテレビを見つけることが難しくなった現実・・あっここにもサムスン・・。

先日は本当に久しぶりにラスベガスのウィンでシャープを見つけ、
ほっとしたような、・・しないような・・

南半球でも、トヨタの牙城といわれながら、ヒュンデの影が迫っています。
外交問題も大きとはいいながらここ近年、上海、その周辺からも日本人は減っています。

久しぶりの積雪にうろたえてしまったようなここ鳥取、
いろいろな考えを巡らせて、新年のスタートへのエネルギーを蓄えております。ネコと。

続きはまた。